ここでは,イギリスの植民地時代やアメリカ独立戦争に関係する州のニックネームを紹介します。
アメリカ独立戦争の話
独立戦争は2回あります。
1回目は,政治的にイギリスから独立した戦争で,1776年~1783年に起こりました。
2回目は,経済的にも独立できるようになった戦争と言われており,1812年~1814年にありました。
1回目の戦争で独立した州は,13州あります。
北の州から順に
ニューハンプシャー州
マサチューセッツ州
ロードアイランド州
コネチカット州
ニューヨーク州
ニュージャージー州
ペンシルベニア州
デラウェア州
メリーランド州
バージニア州
ノースカロライナ州
サウスカロライナ州
ジョージア州
イギリスの植民地だった13州の集まりである「大陸会議:Continental Congress」が,フィラデルフィアで「独立宣言書:Independence Declaration Document」を決定し公布しました。
原文を書いた中心人物は,トーマス・ジェファーソンだったそうです。
植民地時代や独立戦争に関係するニックネームは主にこの13州にありますが,「独立」というくくりで,これら以外の州も紹介します。
最初に紹介するニックネームはこれです。
憲法の州は,どこの州?
画像は,アメリカで最も有名な文書である「合衆国憲法と独立宣言書」です。
画像は2枚重なっていて,上にあるものが「独立宣言書」でほぼ全面写っています。
下にあって,画像では書面の上部の方しか見られないのが「合衆国憲法」です。
現代の最新技術でよみがえらせたもので本物ではないと思うのですが,文字がとても見やすいのでトップに置きました。
独立宣言書や合衆国憲法は,ワシントンD.C.の「国立公文書館」の円形広間に展示されています。
夜になると宣言書はケースごと約6.7メートル下降し,地下の保管室に収められるそうです。
本物の「独立宣言書」の画像はこちらです。
米国の公文書館が運営するサイトで「独立宣言書」を高解像度でダウンロードできます。
独立宣言は,英国によって統治されていた13植民地が独立したことを宣言する文書です。
アメリカ独立戦争の間,羊の皮に書かれた独立宣言書は丸めて持ち歩かれていたそうです
フィラデルフィアで1776年7月4日に採択された宣言書は,フィラデルフィアが英国に占領され,米国内部を転々と移動したそうです。
1823年には水で字がにじんでしまったそうで,その後,宣言書は約40年間,米国特許庁の壁にピンで留められていました…。
1951年にようやく青銅と防弾ガラス製のケースに密閉され,ワシントンD.C.の国立公文書館に置かれました。
1987年からはカメラ装置が設置され,インクの退色や剥離の微細な兆候まで監視できるようになりました。
2003年からは,不活性なアルゴンガスで満たされたチタニウム製の枠で改めて密閉されているそうです。
同様の保存技術は,「権利章典原本」と「合衆国憲法原本」の保管にも用いられています。
これらの情報は「WIRED:アメリカ独立宣言書をどう保存するか」のサイトを基にしています。
さて,話を「憲法の州」にもどします。
アメリカ独立宣言ではなく,合衆国憲法の話でした。
「憲法の州」はコネチカット州です。
コネチカット州
コンスティチュ―ション・ステイト:The Constitution State
憲法の州
1959年にコネチカット州議会によって正式に「憲法の州」と決定されました。
合衆国憲法を書くためのアイデアは,コネチカットの最初の憲法から引き出されたと考えられているからだそうです。
要(かなめ)石の州は,どこの州?
ペンシルベニア州
キーストーン・ステイト:The Keystone State
要(かなめ)石の州
まず「キーストーン(要石)」とは,建築の際の石・煉瓦造りのアーチの最頂部に差し入れて全体を固定する楔形(くさびがた)の石のことで,「ある物事の中心となる重要な場所や人など」のことを指すこともあります。
ペンシルベニア州は,13植民地の中間に位置していて,ペンシルベニアがアメリカの経済的,社会的,政治的発展において重要な位置を占めてきたために「要石の州」と呼ばれます。
冒頭にもあったように,アメリカの最も大切な文書の3つがこの州で作成されたことでも,アメリカ独立の際の要石だったことが分かります。
3つの文書のうち「アメリカ独立宣言書」「アメリカ憲法書」は紹介しました。
もう一つは「リンカーンのゲティスバーグ演説」だそうです。
これに関しては私の知識がないので,別の機会に調べたいと思います。
話を戻して,このニックネームは米国造幣局の記念コインでも使用されています。
アメリカ第1の州は,どこの州?
私のブログにて初めて登場する州です。
デラウェア州
ファースト・ステイト:The First State
第1の州
デラウェアは,合衆国憲法を批准した最初の13州の中でも,1番最初に批准した州のため「第1の州」なのだそうです。
その日が1787年12月7日だったため,デラウェア州は毎年12月7日を祝日にしているそうです。
私が素敵な話だと思ったのは,ある小学校の1年生クラスの要請を受けて,州議会は2002年に正式な州のニックネームとしたことです。
これまで調べた他の州のニックネームにも,このような例があって,さすがアメリカと感じていました。
デラウェア州は,他にも独立戦争が由来となるニックネームがあります。
デラウェア州
ブルーヘン・チキン・ステイト:The Blue Hen Chicken State
ブルーヘン・チキン州
独立戦争の戦闘の合間にデラウェア州の兵士たちは「闘鶏」を楽しみ,自分たちのことも「ブルーヘンの息子」と名乗ったそうです。
「ブルーヘン・チキン」は闘鶏のことで,オスの鶏同士を戦わせる遊びです。
今は違法だそうです。
「ブルーヘン・チキン」は現在,デラウェア州の公式の州鳥となっています。
「自由に生きるか死か」の州は,どこの州?
ニューハンプシャー州
ライブ・フリー・オア・ダイ:Live Free or Die
自由に生きるか死か
仰々しい言葉で「アメリカ独立に関係あるの?」と思うかもしれません。
詳しく言うと「Live Free or Die」はニックネームではなく州のモットーになります。
1945年に議会により公式に採用され,州のエンブレムや車のナンバープレートにも表示されています。
さて,なぜアメリカ独立と関係があるのか。
ニューハンプシャー州はイギリスから最初に独立を果たしたことから,州民は強い独立心を持っていると言われています。
1600年頃,開拓民が入植し漁業を中心に栄えていきますが,イギリスにより合併や分割を繰り返し,振り回され,イギリスに反抗心を抱くようになり,最初に独立を宣言しました。(アメリカ憲法に批准したのは9番目です)
また,アメリカで独自の州憲法を持った最初の州です。
ニューハンプシャー州は,このような歴史から民主主義を貫き自由を求め,現在もその文化が色濃く残る州と言えます。
「自由に生きるか死か」を言い換えると「自由に生きられないなら死ぬ」という意味合いが強いと思います。
「Live Free or Die」は,ニューハンプシャーで最も著名な独立戦争の英雄であるジョンスターク将軍による「乾杯」の言葉からだそうです。
画像は,「自由の鐘:The Liberty Bell」のレプリカです。
背景には,このブログの「「牛肉の州」「牡蠣の州」「宝石の州」:特産物由来の州ニックネームの話 mohamoha15」で紹介した「ニューハンプシャー州議会議事堂:New Hampshire’s State House」が写っています。
ニューハンプシャー州には,「ポーツマス:Portsmouth」があります。
ポーツマスは,日本とロシアの間の日露戦争の講和条約が締結された場所です。
1905年にニューハンプシャー州ポーツマス海軍造船所で30日間,17回の会議によってまとめられました。
「ポーツマス海軍工廠(こうしょう):Portsmouth Naval Shipyard」とも言われ,講和条約の記念博物館があります。
工廠とは,軍需工場のことです。
実際に会議があった場所は,地図で示したように「海軍工廠第86ビル」です。
話を変えて,ニューハンプシャー州も次に紹介するマサチューセッツ州も「ニューイングランド地方:New England」と呼ばれています。
ニューイングランドはアメリカの北東部の6州(メイン州,ニューハンプシャー州,バーモント州,マサチューセッツ州,ロードアイランド州,コネチカット州)を合わせた地域です。
イギリスの植民地の時に,植民地をそれぞれ北東部の「ニューイングランド」,ニュージャージ州やニューヨーク州などの「中部植民地」,バージニア州などの「南部植民地」に分けて呼ばれるときもあったようです。
現在でも北東部はニューイングランドと呼ばれることが多いそうです。
自由の発祥地は,どこの州?
マサチューセッツ州
バースプレイス・オブ・アメリカン・フリーダム:Birthplace of American Freedom
アメリカの自由の発祥地
「アメリカの発祥地」と調べるとまず出てくるのが,ペンシルベニア州にある「独立記念館」で,独立を宣言し,アメリカ憲法に署名したところです。
しかし,アメリカ独立のきっかけになった出来事と言うと,マサチューセッツ州にある「ボストン」になるようです。
その出来事と言うのが「ボストン茶会事件:Boston Tea Party」です。
日本のサイトで1つ見つけましたがアメリカのサイトでは見かけなかったので,実際に「アメリカの自由の発祥地」と聞いて「マサチューセッツ州」を挙げる人は少ないと推測されるのですが,この事件が独立の始まりとされているのは間違いなく,たくさんのサイトを見つけました。
「ボストン茶会事件:Boston Tea Party」とは
アメリカは,1500年代からスペイン,フランス,イギリスなどのヨーロッパの植民地でした。
1700年代に入り,イギリスとフランスがアメリカをめぐって戦争を行い,イギリスが勝利します。
そして,イギリスが,アメリカ植民地から重い課税をするようになります。
当時、紅茶はイギリス本土でも,アメリカ植民地でも浸透していて、大人気でした。
イギリスは現在でもコーヒーより紅茶の国ですよね。
アメリカ植民地の人々は,紅茶の税金が高いのに納得がいきませんでした。
また,イギリスはイギリス東インド会社に紅茶の独占販売権を与え,アメリカ植民地の人々はこの会社からしかお茶は買えないと言われます。
アメリカ植民地の人々は,お茶への課税と東インド会社の独占販売の両方に抗議しました。
同年12月16日,ついに事件が起こります。
アメリカ植民地の人々は,ボストン港に来た茶箱をたくさん積んだ東インド会社の船に税金を払いことを拒否し,イギリスに帰るように抗議します。
そして,それが抗議だけでは収まらなくなって,ボストン港に停まっていた「イギリス東インド会社」の3艘の船にネイティブ・アメリカンに変装して侵入します。
そして,船荷の茶箱342箱(90,000ポンド:約100万ドル相当)を海に投げ捨てました。
「Boston Tea Party facts for kids」より
ボストン港に紅茶を投げ捨てたことを,ボストン港全体に紅茶を煎れると解釈して「ボストン・ティー・パーティー」と名付けるところがアメリカらしいと感じました。
この時の先導者は「独立の父」と呼ばれるサミュエル・アダムスだそうです。
私はこの偉人を知らなかったのですが,アメリカではビールの名前にもなっているらしいです。
画像は「ボストン・ティーパーティー博物館:Boston Tea Party Ships and Museum」です。
実際に東インド会社の船の模型があり(画像でもわかりますね),当時の様子を再現した体験型アトラクションもあるようです。
茶箱を海に投げ捨てるようですが,実際には箱に防水加工がしてあったため,ふたを開けて中身を投げ捨てたのだとか。
全部投げ終わるのに3時間ほどかかったそうです。
この博物館には,当時の茶箱の本物が展示されているそうです。
この博物館の前にサミュエル・アダムスの銅像があります。
「ボストン・ティー・パーティー」と聞いて,思い出したことがあります。
このブログを始めた頃から,私は「大草原の小さな家:Little House on the Prairie」をシーズン1から観ています。
今シーズン9を見ている途中なんですが,最初のシーズンぐらいにローラがこの「ボストン・ティー・パーティー」の話を家族にする場面がありました。
その時は何を言っているのかわからなかったのですが,家族との会話に歴史の勉強で習ったことをシャレに使ったんだとその時は理解していました。
今考えると,何かに抵抗するのに(何だったのかは忘れました),この事件を真似て「お茶を捨てたら」というシャレだったのだと思います。
ちなみに,この事件から独立戦争へと進み,アメリカでは紅茶からコーヒーに趣向が変わったそうです。
ジャージーブルーの州は,どこの州?
ニュージャージー州
ジャージー・ブルー・ステイト:The Jersey Blue State
ジャージーブルーの州
「ジャージーブルー」は「ダークブルー」の色のことです。
独立戦争中,ジョージ・ワシントンは,紺色(ダークブルー)の旗を掲げるよう指示しました。
また,ニュージャージー州の兵士は,紺色(ダークブルー)の軍服を着ていたそうです。
そこから,その紺色を「ジャージーブルー」と呼び,ニュージャージー州を「ジャージーブルー州」と呼ぶようになったそうです。
ニューヨークとニュージャージーはどちらも元々オランダの人たちが定住した土地だそうで,ダークブルー(ジャージーブルー)はオランダの記章だったそうです。
志願兵の州は,どこの州?
テネシー州
ボランティア・ステイト:The Volunteer State
志願兵の州
テネシー州で最も人気があり有名なのがこのニックネームです。
1812年の2回目の独立戦争中に付けられたニックネームで,テネシーからの何千人ものボランティア兵士が,特にニューオリンズの戦いで重要な役割を果たしたことが由来だそうです。
他にもこの州の戦争にまつわる由来として,南北戦争時代に黄褐色の軍服を着ていたために「バターナッツ:Butter Nuts」というニックネームで呼ばれていた時があるそうです。
ベテラン兵部隊の州は,どこの州?
メリーランド州
オールド・ライン・ステイト:The old Line State
ベテラン兵部隊の州
独立戦争当時,メリーランド州の部隊は多くの戦地で英雄的な戦闘をしたそうで,ジョージ・ワシントン(この時は大統領ではなく,将軍)より称賛され,「オールド・ライン州」と名付けられたそうです。
百周年記念の州は,どこの州?
コロラド州
センテニアル・ステイト:The Centennial State
百周年記念の州
記念すべき独立宣言の署名から100年目にあたる1876年にアメリカの38番目の州になったため,このニックネームで呼ばれています。
帝国の州は,どこの州?
ニューヨーク州
エンパイア・ステイト:The Empire State
帝国の州
1784年にジョージ・ワシントンが,ニューヨーク州を視察したときに「この地がアメリカの中心(Seat of Empire)」といったことからこのニックネームが付けられたそうです。
今やニューヨークは,アメリカ国内のみならず世界の中心になっています。
ジョージ・ワシントンには先見の明があると言えます。
他に,ニューヨーク州は「ニッカボッカ州:The Knickerbocker State」,ニューヨーク州民を「ニッカボッカー:The Knickerbockers」と呼ばれているそうです。
初期のオランダの入植者が愛用していたズボンからこのようなニックネームが付いたそうです。
「ニッカボッカ」は,日本で土木・建設工事の作業服として多く見られます。
裾がくくられた半ズボンで, 野球のユニフォームやゴルフウェアとして広まったそうです。
もう一つあります。
「向上する州:The Excelsior State」で,「Excelsior」は「優れた」「気品のある」「常に向上する」などの意味があります。
古き領地の州は,どこの州?
バージニア州
オールド・ドミニオン:Old Dominion
古き領地
植民地時代に,バージニア州はチャールズ2世に忠誠を誓ったことから,イングランドなどと同等に領地とされたそうです。
そのため「古き領地」がニックネームになりました。
「バージニア」もイギリスのエリザベス1世女王(バージニア女王)にちなんで名付けられたそうです。
バージニア州と言えば,私が思いつくのは「CIA:中央情報局」の本部があるところということです。
バージニア州「ラングレー」にあることからCIAのことを「ラングレー」と呼ぶこともあるそうです。
プロテスタント宗派の移民の名がつく州は,どこの州?
アメリカへの移民者は宗教革命後のプロテスタントだということはご存じと思います。
「プロテスタント」とは「抗議する者」という意味で,ローマ・カトリックの腐敗に抗議することから始まっています。
と習った記憶があります。
マサチューセッツ州
ピューリタン・ステイト:The Puritan State
清教徒の州
1620年から清教徒がこの地に植民地を建設しました。
前回の「湾の州」でも触れましたね。
ケープ・コッドの先端に「ピルグリム・モニュメント」があります。
ペンシルベニア州
クェーカー・ステイト:The Quaker State
クェーカー教徒の州
イギリス貴族のウィリアム・ペンが,国王チャールズ2世から許可を得て,植民地を開いたそうです。
これがペンシルヴェニア(ペンの森の意味)で,入植者はペン家に地代を支払っていました。
ウィリアム・ペンは熱心なクェーカー教徒で,住民への信仰の自由と経済活動の自由を認め、みずから先頭に立って開拓をしたそうです。
そのために,ペンシルベニア州はクェーカー教徒が多かったそうです。
クェーカーとはプロテスタントの一派で「体をふるわせる者」という意味だそうです。
他にも宗教にまつわる州のニックネームとしては,植民地時代とは関係ないですが,ユタ州の「モルモン教徒の州」があります。
既にモルモン教徒は,「mohamoha17」のミツバチ州として紹介しています。
なんと,今回は13の州のニックネームを紹介しました。
そのうち5つが,私のブログで初めて紹介した州です。
このページの情報の主な提供元は,「State Symbols USA」です。
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